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非接触故の愛
Landscape-Landscope
コロナウイルスの突然の出現により、私の大学院生活は予定していたものと大きく変わってしまった。
自宅での制作を余儀なくされ、金沢の一人暮らしの部屋でポツンとひとり。
できることといえば原型制作くらいしかなかった。
帰れぬ故郷やまだ見ぬ世界の風景を思い浮かべ、淡々と静寂の中作品を作る。
思考の中で繰り返される故郷の情景とともに己の半生を反芻する。
思えばボディイメージに振り回される人生であったように思う。
平均よりも大柄とされるボディ。曰く「女」に分類されるセクシュアリティ。
時には男性のように。
時には若い女として。
静かに、包容力があって、おおらかに、おしとやかに。
年齢を重ねて変化するボディによってコロコロと変わる、外界から求められる「イメージ」とやらに辟易としていた。
外の皮だけをとって好き勝手求められ、やっぱり違ったと突き放される。
そんなはずないでしょうと責められる。求められる。奪われる。
うつくしいものは好きだ。
がしかし、ひとたびそれを己が身につけなければならないシーンを想像すると恐ろしいのだ。
うつくしいものをただ「うつくしい」と感じたいだけなのに、
通した指に、かけた首に、着けた胸に用途性とやらが作用する。
物差しとなってボディコンプレックスを想起させる。
「私の指って太いのよね」
フィットしなかった瞬間のちょっとした罪悪感をあなたの大切なボディで消化する必要はない。
権威性や呪術的装置としての機能から脱却できた現代のジュエリーとは、そんな窮屈な装置でなくて良い。
工芸ということさら窮屈な領域の中で用途性を考慮すること。
工芸のなかで鋳金技法が「胎」という表現の素地として扱われてしまうことに疲れ切ったとき、そう思った。
離れていても、故郷を想うしあなたを想うよ。
あなたのボディと私が作ったものが触れ合うことがなくとも、
きっと想いを伝え合うことはできる。
『非接触故の愛 Landscape-Landscope』
ブロンズ、高錫青銅、真鍮、純銅、ガラス、金箔
2020-










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